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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和45年(ワ)466号 判決 1973年1月26日

原告

権徳順

ほか一名

被告

優光タクシー株式会社

主文

被告は原告権徳順に対し、金一四四万四、五一七円およびうち金一二四万四、五一七円に対する昭和四七年四月九日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告権徳順その余の請求および原告李久子の請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告権徳順と被告との間に生じた分は、これを五分し、その一を被告の負担、その余を同原告の負担とし、原告李久子と被告との間に生じた分は同原告の負担とする。

この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  被告は原告権徳順に対し金八一〇万九、六九三円およびうち金七五七万四、六九三円に対する昭和四七年四月九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告李久子に対し金二〇万二、四一六円およびこれに対する昭和四五年八月二一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二原告らの請求原因

一  (事故の発生)

原告権徳順は左の交通事故により受傷した。

1  発生日時 昭和四四年七月二日午後三時四〇分ごろ

2  発生場所 尼崎市崇徳院三丁目九番地路上

3  加害車 普通乗用自動車(大阪五い三六―三八号)

右運転者 訴外白坂桃造

4  被害車 自転車

右運転者 原告権徳順

5  事故態様 原告権徳順運転の被害車が、事故現場の道路を東に進行中、その進路交さ点の北側から加害車が右折して右道路に進入し、両車が衝突した。

二  (責任原因)

本件事故は運転者訴外白坂桃造が整備不良のまま加害車を運転したため、ブレーキがきかず、暴走して発生したものである。被告会社はタクシーによる旅客運送を業とする株式会社であるところ、本件事故当時加害車を所有してその営業用に使用し、もつてこれを自己のため運行の用に供していたものである。したがつて、被告は民法七一五条および自賠法三条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償する義務がある。

三  (原告権徳順の損害)

本件事故により原告権徳順は前頭部、右肩部等打撲傷、脛骨上端解放骨折、右側頭部亀裂骨折、頸部捻挫の傷害を受け、その治療のため、昭和四四年七月二日から同年一一月一六日まで尼崎市内の大原病院に入院し、同月一七日から昭和四五年二月一一日まで同病院に通院したほか、昭和四四年一二月一日から同月一六日まで県立尼崎病院塚口分院に通院した。しかし、右治療にもかかわらず、原告権徳順には頸部交感神経刺激、外傷性椎骨動脈循環不全の症状があつたので、昭和四五年二月一二日から神戸市内の近藤病院に通院中であるところ、昭和四七年三月九日、同病院において、原告権徳順には椎間狭小、脳波異常、頸部、肩部に筋電図の過緊張の所見をみるが、頭痛、記憶力減退、全身倦怠感、霧視等の自覚症状は固定化し、これは今後の後遺症として、神経系統の機能に障害を残し、相当程度に就労に制限を受けるとの診断結果を得た。これは自賠法施行令別表九級一四号に相当する。

これにより原告権徳順の蒙つた損害額は次のとおり金八一〇万九、六九三円である。

(一)  治療費 金一一二万二、二〇三円

昭和四四年一二月一日から同月一六日までの治療費として兵庫県立尼崎病院塚口分院に支払つた金二万一、一六三円、昭和四五年二月一二日から昭和四七年三月九日までの治療費として近藤病院に支払つた金一一〇万一、〇四〇円の合計である。

(二)  通院交通費 金二万六、四九〇円

昭和四四年一一月一七日から昭和四五年二月一一日まで大原病院に通院するために支払つたタクシー代金六、四一〇円、昭和四五年二月一二日から同年四月三〇日まで近藤病院に通院するために支払つたタクシー代金二万〇、〇八〇円の合計である。

(三)  休業損害 金三三〇万円

原告権徳順は、本件事故当時、夫である訴外李甲生と共に看書地においてホルモン焼屋「ひろの」を経営し、平均月額一〇万円の収益を上げていたが、夫は仕入れ等を行うだけで、店は全部原告権徳順が仕切つていたから、右収益は原告権徳順の提供する労務のみによつて上げ得たものということができる。原告権徳順の前記受傷のため昭和四四年七月二日から昭和四七年三月九日までの三三ケ月間休業を余儀なくされ、右収入を得られなかつた。よつてその休業損害は金三三〇万円である。

(四)  将来の逸失利益 金二一三万六、〇〇〇円

原告権徳順は、昭和四七年三月九日、近藤病院において前記のような症状固定の診断を受けたが、これによれば、原告権徳順の後遺障害は自賠法施行令別表九級一四号に相当するから、原告権徳順の労働能力の三五パーセントを今後六年間にわたり喪失することが経験則上推断される。よつてこれによる逸失利益を計算すれば金二一三万六、〇〇〇円となる。

10万円×12ケ月×0.35×5.1(ホフマン計数)=213万6,000円

(五)  慰藉料 金一五〇万円

前記諸事情によると、原告権徳順の精神的損害を慰藉するためには金一五〇万円が相当である。

(六)  損害の填補 金五一万円

原告権徳順は、被告から休業補償の一部として金二〇万円、また自動車損害賠償保障法に基づく責任保険から後遺症補償として金三一万円、合計金五一万円の支払いを受けた。右金二〇万円は前記(三)に、右金三一万円は前記(四)にそれぞれ充当すべきものとして控除する。

(七)  弁護士費用 金五三万五、〇〇〇円

原告らは本訴提起を弁護士足立昌昭、同川西譲に委任し、原告権徳順は、着手金として金三万五、〇〇〇円を昭和四五年七月二二日右弁護士らに支払い、かつ勝訴の際には金五〇万円を報酬として支払うことを約した。

四  (原告李久子の損害)

原告李久子は、本件事故前、大阪市内の明大製莫株式会社に勤務し、平均月額金二万五、三〇二円の給与を受けていたが、本件事故で原告李久子の母である原告権徳順が入院、通院を余儀なくされ、家事を行えなくなつたので、昭和四四年七月二日から昭和四五年二月二〇日まで欠勤して、母のかわりに家事を手伝つた。したがつて、原告李久子のこの間の欠勤は八ケ月に及び、その蒙つた休業損害は金二〇万二、四一六円である。

五  (結論)

よつて、被告に対し、原告権徳順は金八一〇万九、六九三円および内金七五七万四、六九三円(前記三の(七)の弁護士費用金五三万五、〇〇〇円を控除したもの)に対する昭和四七年四月九日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。また原告李久子は金二〇万二、四一六円およびこれに対する昭和四五年八月二一日から支払いずみまで前同様年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三被告の答弁、主張

一  (請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因第一項は認める。

(二)  請求原因第二項中、被告会社がタクシーによる旅客運送を業とする株式会社であつて、本件事故当時加害車を所有していたことは認めるが、その他の事実は争う。

(三)  請求原因第三項中の(六)の損害の填補の事実は認めるが、その余の事実は知らない。

(四)  請求原因第四項は知らない。

二  (過失相殺の抗弁)

本件事故現場は未舗装ででこぼこが激しく、正常な運転は到底できるような道路状態でなく、徐行運転を余儀なくされるものであつたから、加害車運転の訴外白坂桃造は、徐行して右折し、西進しようとしたところ、これに道路中央をふらふらと東進してきた原告権徳順運転の自転車が衝突してきたものである。本件交差点の北西角には木箱等がおいていたため、加害車のように車体の低いタクシーの運転席からはきわめて見透しの悪い状態であつたが、一方原告権徳順の進行方向の左側には進行できるかなりの空間があり、さらに左側には路地があつたのにかかわらず、原告権徳順は道路中央にとび出してきたため、本件事故が発生したものである。したがつて、本件事故発生については原告権徳順の過失も与つていたものというべく、本件賠償算定について右過失を斟酌すべきである。

第四抗弁に対する答弁

抗弁事実をすべて否認する。

第五証拠関係〔略〕

理由

一  (本件事故の発生および責任原因)

請求原因第一項の事実および被告会社がタクシーによる旅客運送を業とする株式会社であつて、本件事故当時加害車を所有していたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、被告会社は本件事故当時加害車を自己の運行の用に供していたものであることが明らかであるから、被告は、自賠法三条により、本件事故によつて原告権徳順に生じた損害を賠償する責任がある(原告は、本件事故は加害車のブレーキがきかず、暴走して発生したものであるが、運転者訴外白坂桃造が整備不良のまま加害車を運転したことに故意、過失があるとして、被告は民法七一五条によつても損害賠償の責任があると主張するのであるが、本件全証拠によつても、訴外白坂桃造が整備不良の加害車を運転したことに故意、過失があつたとは認められないので、これを前提とする民法七一五条による原告の右主張は是認できない)。

二  (過失相殺)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。すなわち、本件事故現場は、南北の県道尼崎港崇徳院線と東西の市道(通称旧国道)とが交叉する交叉点附近であつて、東西の市道は交叉点西側が歩車道の区別のない幅員八・三メートル、交叉点東側が同じく歩車道の区別のない幅員五・三メートルであり、南北の県道は交叉点南側が歩車道の区別のない幅員八・三メートル、交叉点北側が同じく歩車道の区別のない幅員六・九メートルである。南北の県道のうち同交叉点より北側約一二メートルは未舗装である。けれども、これを除く南北の県道および東西の市道はすべて舗装されている。南北の県道のうち、同交叉点北側の未舗装の部分は、やや下り坂で、かなりでこぼこが激しく、正常運行は困難な状態である。同交叉点北西角には、木箱等の障害物があり、視界が妨げられるけれども、通行人については確認できる状態であつた。被告会社のタクシー運転手として雇傭されていた訴外白坂桃造は、加害車を運転して前記交叉点より北方約八四メートルの県道を南進していたが、約四八メートル進行した附近で、右前方約二一メートルの附近から右県道を西から東に横断しようとする歩行者を認めたので、当時時速約一六キロメートルで進行していたが、さらに約一七メートル南進した附近で停止すべくブレーキを踏んだところ、被告会社の整備不良のためブレーキ・オイルが漏れ、ブレーキの踏抜き状態が生じたため、そのまま約一八・四メートル本件交叉点に向つて南進し、このまま進行すれば交叉点南西角の民家(薬局)に衝突すると考えたので、同交叉点を右折しようとしたところ、右前方約一〇・七メートルに自転車に乗つた原告権徳順が東西の市道を交叉点に向つて東進するのを認めたので、同原告との衝突を避けるため、右に左にハンドル操作しつつ同交叉点を右折して行つたが、同原告も自己の進行方向に向つて右折西進してくる訴外白坂桃造運転の加害車を認めたので、これを避けるべく右に左にハンドル操作をしたけれども、訴外白坂桃造が同原告を発見してから約七・七メートル西進した地点で、同原告運転の自転車に衝突した。右のとおり認められる。

被告は、本件事故は原告権徳順がふらふらと道路中央にとび出してきたため発生したと主張するけれども、そのように認めるにたりる証拠はない。むしろ前記認定事実によれば、被告会社の整備不良のため加害車のブレーキ・オイルが漏れ、そのためブレーキの踏抜き状態が生じたことが本件事故の唯一の原因と認められる。被告は、原告権徳順が進行方向の道路左側には進行できるかなりの空間があり、さらには左側には路地があつたのであるから、十分本件事故を回避できる余地があつたとも主張するが、たとい被告主張のような回避の余地が認められるとしても、前記認定のような本件事故の態様を検討すれば、原告権徳順が本件事故を被告主張のような要領で回避しなかつた点に過失があつたとすることは到底できまいと考える。他に過失相殺をするにたりる原告権徳順の過失を認めるにたりる証拠はないから、被告の過失相殺の主張は採用できない。

三  (原告権徳順の損害)

〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。すなわち、原告権徳順は本件事故当日である昭和四四年七月二日尼崎市宮内町一丁目九番地所在の大原病院に入院し、「前頭部・右肩部・右前腕部打撲傷、左大・下腿・足部挫創、脛骨上端開放骨折、右側頭部亀裂骨折、頸部捻挫」の病名で診断を受けたのち、同日から同年一一月一六日まで同病院に入院、同月一七日から昭和四五年二月二〇日まで同病院に通院(治療実日数は六四日)として治療を受けたのであるが、同病院には当時脳波検査の設備がなかつたので同病院の指示により昭和四四年九月二六日から同年一二月一六日まで尼崎市南塚口町六丁目八番一七号所在の兵庫県立尼崎病院塚口分院に通院(治療実日数は五日)した。前記大原病院は原告権徳順に対する治療として、「前頭部打撲傷」については昭和四四年七月二五日、「右肩部打撲傷」については同月二九日、「右前腕部打撲傷」については同月一〇日いずれも治療を終了し、「左大・下腿・足部挫創」および「脛骨上端開放骨折」については昭和四四年八月一九日処置を終了してギブス固定をし、同年一〇月一〇日ギブスを除去し、同年一一月二四日まで「左大・下腿・足部挫創」の治療をし、「脛骨上端開放骨折」については昭和四五年一月三一日で治療を打切り、「右側頭部亀裂骨折」はレントゲン検査の結果で診ると写真にそれを疑わせるような陰があるという程度で必ずしも明確なものでなく、したがつて特別の治療を加えず、「頸部捻挫」についてもレントゲン検査の結果で診ても異状を認めず、神経症状があるにすぎないので「頸部捻挫」として病名をつけ、特別の処置をすることなく、単に湿布、注射、内服薬の投与等の処置を続けたにすぎないものである。前記兵庫県立尼崎病院塚口分院は原告権徳順に対し前記通院期間中である昭和四四年一二月一日頭部レントゲン線検査を施行し、ついで同年一二月五日脳波検査を施行したがいずれも異常所見を認めなかつた。原告権徳順は前記大原病院において前記各治療を終了する前後の段階で、主治医に対し、昭和四四年一一月二八日までは「頭が痛い」、同月二九日には「歩くと足が痛い」、同年一二月五日には「頭痛がする」、昭和四五年一月二一日には「軽い頭痛がする」、同月二四日には「肩が痛く寝つきが悪い」「背中が冷える」「子供を抱くと気分が悪くなる」、同月二七日には「正坐しようとしても足が痛く、臀部に足がつかぬ」と訴えていたが、同原告の右主訴については必ずしも他覚的症状と一致せず、とくに「頸部捻挫」「右側頭部亀裂骨折」については、臨床的に捕捉するところがなく、精神神経科的処置の必要も認めなかつたので、特別の処置をしなかつた。前記大原病院は昭和四五年二月二〇日原告権徳順に対し、本件交通事故による前記各傷害については、頭・頸部の神経症状、右肩関節運動障害、左下肢歩行障害、疼痛などの症状が永びいたが、全部治癒したものと認定し、同原告に対し、今後の治療の要なき旨を告げ、後遺症として、左足の踵が臀部にやつと触れるが正坐できないため、左膝関節の軽度運動障害を残すものと症状固定の診断をし、自賠法施行令別表一二級七号に該当するものと認定した。前記「頸部捻挫」は後遺症なく治癒したものであるが、仮に後遺症が認められるとしても、局部に神経症状を残すもの(自賠法施行令別表一四級九号)と認定すべきものにすぎない。右のとおり認められる。

しかるに〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。すなわち、原告権徳順は前記大原病院における治癒、症状固定の診断にもかかわらず、なお頭痛などがするとして、昭和四五年二月一二日神戸市兵庫区有野町有野二三七八番地(裏六甲の有馬温泉方面から三田市に至る国道沿いに在る)所在の近藤病院に通院して診察を受けたところ、同病院において「外傷性頸部交感神経刺症状および外傷性椎骨動脈循環不全」を疑うべき臨床所見があると診断され、同日から昭和四七年三月九日まで同病院に通院(治療日数は一一〇日)して保存的加療を受けたほか、右通院期間中である昭和四五年四月二三日から翌二四日まで二日間同病院に入院した。原告権徳順は右近藤病院において保存的治療を受けたのであるが、頭痛などの自覚的症状は「保存的加療にて軽快中である」との診断を受けたけれども消退せず、同病院は昭和四七年三月九日原告権徳順に対し、エツクス写真で椎間狭小、脳波で異常波出現、筋電図で頸・肩に過緊張所見をみるが、その他の精査は正常であつて、頭痛、記憶力減退、全身倦怠感、霧視等の症状は固定化していると診断し、後遺症として、神経系統の機能に障害を残し、相当な程度に就労に制限を受けるもの(自賠法施行令別表九級一四号)と認定した。右のとおり認められる。

ところで、「ムチ打ち症」の意義やその治療方法などについては、現在のところ必ずしも明らかでなく、専門家の意見も異なつているのであるが、「ムチ打ち症」は人体の頸部が急激な衝撃を受けて過伸展または過屈曲となつた際生じるものとされており、頸骨の骨折、椎間板軟骨の損傷等、高度の傷害をともなう場合は極めて少なく、大部分のものは主として頸部の軟骨支持組織(靱帯、筋膜等)の炎症や、神経筋周囲の出血。充血または筋肉内のうつ血などを生じ、これが血管や神経を刺激圧迫して頭痛・頭重・しびれ感その他いろいろの症状を示すものとされている。そして、一般に「ムチ打ち症」の場合には、患者の性格や生活環境によつて愁訴が多彩であり、本人の苦痛が大きいにもかかわらず、他覚的所見が比較的乏しく、傷害による程度と症状が種々多様のため、医師としては慎重な態度で治療に当るべきものとされ、「ムチ打ち症」と後遺症との関係も軽視することはできないが、専門家の意見によれば、頸椎や頸髄等に損傷のあるものを除けば、大部分の「ムチ打ち症」は二ケ月程度の安静と治療によつて後遺症を残さずに治癒するものとされている。

前記認定事実によれば、原告権徳順は、前記大原病院において、昭和四五年二月二〇日、「頸部捻挫」を含む前記各傷害について、全部治癒の認定を受け、左膝関節の軽度運動障害を残すものとの症状固定の診断を受けて自賠法施行令別表一二級七号に該当するものと認定されたのであるが、前記近藤病院においては、「外傷性頸部交感神経刺症状および外傷性椎骨動脈循環不全」を疑うべき臨床所見があると診断され、昭和四七年三月九日、エツクス写真で椎間狭小、脳波で異常出現、筋電図で頸・肩に過緊張所見をみるが、その他の精査は正常であつて、頭痛、記憶力減退、全身倦怠感、霧視等の症状は固定化しているとの診断を受け、後遺症として、神経系統の機能に障害を残し、相当な程度に就労に制限を受けるもの(自賠法施行令別表九級一四号)と認定されたものである。そして、前記大原病院における「頸部捻挫」はレントゲン検査の結果で診ても異状を認めず、単に「頭が痛い」等「ムチ打ち症」を推測せしめるような自覚的症状を訴えるのみで、他覚的症状と一致せず、臨床的に捕捉するところがないので、神経症状があるにすぎないものとして「頸部捻挫」として病名を付したものであり、前記近藤病院における「エツクス写真で椎間狭小、脳波で異状出現、筋電図で頸・肩に過緊張所見」は本件事故といかなる医学的因果関係があるのか明らかでないのであつて(前記兵庫県立尼崎病院塚口分院では脳波検査に異状を認めなかつた)、頸椎や頸髄等に損傷があつたことを確める資料もないのであるから、同病院における「外傷性頸部交感神経刺症状および外傷性椎骨動脈循環不全」も自覚的症状から「ムチ打ち症」の内容を医学的に推断したものと認められる。

そうすると、原告権徳順が前記大原病院において「頸部捻挫」と病名を付せられ、前記近藤病院において「外傷性頸部交感神経刺症状および外傷性椎骨動脈循環不全」を疑うべき臨床所見があると診断された「ムチ打ち症」は、通常の「ムチ打ち症」と変らないのであるから、原告権徳順の「ムチ打ち症」は前記大原病院で最終診断を受けた昭和四五年二月二〇日当時既に治癒したものと認めるべく、仮に「ムチ打ち症」の後遺症が認められるとしても、局部に神経症状を残すもの(自賠法施行令別表一四級九号)と認定するのが相当であつて、原告権徳順の本件事故による治療期間、休業期間を同原告が前記大原病院で最終診断を受けた昭和四五年二月二〇日までの範囲内において相当な期間と認め、その間の損害のみを被告に賠償させることとし、その余は本件事故と相当因果関係がないものとして認容しないこととするのが相当である。けだし、「ムチ打ち症」に罹患して何らかの自覚的な神経症状のある場合に、長期間の治療を受け休業をなすこと自体は被害者の自由ではあるが、それによつて生じた損害をすべて損害賠償として加害者側に負担させることは加害者側に酷であり、公平の見地からも是認しがたいからである。

右による原告権徳順の蒙つた損害額は次のとおり金一四四万四、五一七円である。

(一)  治療費 金二万一、一六三円

〔証拠略〕によれば、原告権徳順は昭和四四年九月二六日から同年一二月一六日まで兵庫県立尼崎病院塚口分院において治療を受けたが(診療実日数は五日)、その治療費として金二万二、三九三円を同病院に支払つたことが認められる。したがつて、右金二万二、三九三円のうち原告権徳順の請求する金二万一、一六三円の限度で認容する。

(二)  通院交通費 金六、四一〇円

原告権徳順が昭和四四年一一月一七日から昭和四五年二月二〇日まで前記大原病院に通院(治療日数は六四日)して治療を受けたことは前記認定のとおりであるが、〔証拠略〕によれば、原告権徳順は、右大原病院に通院するため、タクシーを利用し、治療日数六四日間に支払つたタクシー代は金六、四一〇円(一回金一〇〇円が五九日、一回金九〇円が三日、一回金一二〇円が二日)であることが認められる。

(三)  休業損害 金三〇万八、〇〇〇円

〔証拠略〕によれば、原告権徳順の夫である訴外李甲生は、本件事故当時、その住所地である尼崎市蓬川町一四番地において、ホルモン焼屋「ひろの」を経営し、すくなくとも平均月額一〇万円の収益を上げていたが、原告権徳順は主婦として家事労働に従事するとともに、右「ひろの」の経営のために料理、接客の労務を提供していたこと、右事業上の収益に対する原告権徳順の寄与の割合は四割をもつて相当すること、以上のとおり認められる。もつとも、〔証拠略〕によれば、訴外李甲生の昭和四四年度の個人事業税の納付額は金五、八〇〇円であることが認められ、これにより年間所得を逆算すると金五〇万二、〇〇〇円(5,800円×2÷0.05<地方税法72条の22第6項10号の税率>+270,000円<同法条の18第1項の専縦者控除>)となることが明らかであるが、一般に事業経営者等においては税務署等に対し所得を過少に申告することがありうるから右乙号証のみによつては右認定の平均月額一〇万円の収益を否定することはできないし、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。そうすると、原告権徳順の昭和四四年七月二日から昭和四五年二月二〇日までの休業損害は金三〇万八、〇〇〇円である(4,000円×7.7ケ月)。

(四)  将来の逸失利益 金四一万八、九四四円

〔証拠略〕によれば、原告権徳順は西暦一九二二年三月一五日生れであることが認められるところ、前記(三)の認定によれば、その夫である訴外李甲生の平均月額一〇万円の収益に対する寄与の割合は四割をもつて相当とするのであるから、同原告の年令、職種、症状固定時の後遺症等に照らせば、症状固定時である昭和四五年二月二〇日当時以後の労働能力は二〇パーセント程度低下し、その状態は五年間は継続するものと認めるのが相当である。以上によつて、原告権徳順の後遺症による逸失利益をホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると金四一万八、九四四円となる(40,000円×12×0.2×4,364(係数)=418,944円)。

(五)  慰藉料 金一〇〇万円

前記諸事情その他一切の事情を考慮すれば、原告権徳順が本件事故によつて蒙つた精神的苦痛を慰藉すべき額としては金一〇〇万円が相当である。

(六)  損害の填補 金五一万円

原告権徳順が被告から休業補償の一部として金二〇万円、または自動車損害賠償保障法に基づく責任保険から後遺症補償として金三一万円、合計金五一万円の支払いを受けたことは当事者間に争いがないから、右金二〇万円は前記(三)に、右金三一万円は前記(四)にそれぞれ充当すべきものとして控除する。

(七)  弁護士費用 金二〇万円

原告権徳順が本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、前記認容額、被告の抗争の程度、訴訟の難易度、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある損害としての弁護士費用は金二〇万円と認定するのが相当である。

四  (原告李久子の損害)

〔証拠略〕によれば、原告李久子は原告権徳順と訴外李甲生の長女であつて、本件事故当時、大阪市内の明大製莫株式会社に勤務し、平均月額金二万五、三〇二円の給与を受けていたが、本件事故で原告李久子の母である原告権徳順が入院、通院したため、同原告が家事を行なうことができなかつたので、昭和四四年七月二日から昭和四五年二月二〇日まで右勤務先を欠勤して、母である原告権徳順にかわつて家事を手助つたことが認められる。ところで原告李久子は、右欠勤期間において得ることのできなかつた給与相当の金額は、同原告の逸失利益として被告に損害賠償として請求できると主張するのである。しかし、被害者が主婦としての家事労働に従事できなかつた場合において、近親者が被害者にかわつてみずから家事労働に従事した場合には、その労務を金銭的に評価して加害者に対し金銭賠償を請求し得るものと解する余地がないではないであろうけれども、前記三の(三)において認定したところによれば、原告権徳順は、夫である訴外李甲生の経営するホルモン焼屋の経営に労務を提供するとともに主婦として家事労働に従事していたが、本件事故によつて、右労務に従事できなかつたことによる休業損害を蒙つたとして、その損害賠償を請求し、これが認容されたのであるから、被害者である原告権徳順の家事労働による逸失利益は填補されたものというべく、原告李久子が原告権徳順にかわつてその家事労働に従事したからといつて、重ねてそれによる損害の賠償を加害者側に請求することは許されないものというべきである。いわんや原告李久子が原告権徳順にかわつて家事に従事するため、その勤務先を欠勤し、勤務先から得べかりし収入を失つたからといつて、ただちにこれを本件事故による損害賠償として被告に請求することは、本件事故と相当因果関係があるものとはいいがたく、到底是認しがたい。

五  (結論)

以上のとおりであるから、原告権徳順の本訴請求は、同原告が金一四四万四、五一七円およびうち金一二四万四、五一七円(弁護士費用金二〇万円を控除したもの)に対する昭和四七年四月九日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求部分および原告李久子の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 阪井昱朗)

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